お遍路 四国88か所お寺巡り 高野山編 その1

ラオス旅行の記事の前に、日本のお寺巡りの記事を書きたいと思います。そういえば、海外旅行の記事はかなり多いですが、日本の観光地の記事はほぼ書いていませんでした。そんな中、初めてまともに書く記事はお遍路です。お遍路って四国の88か所の弘法大使が修行したお寺をめぐる旅のことです。ずっとしてみたいと思っていたのですが、とうとう足かけ4年で88か所巡り終わりました。そして、最後に和歌山県の高野山へ参るというのが流れだそうです。はじめということで、お遍路についての全般的な話題と最後に参拝する高野山から記事にしていこうと思います。

そもそも、お遍路の始まりってなんなのっという方のために、簡単にその始まりと言われていることを紹介したいと思います。弘法大使が四国のお寺をめぐっている時に、あるお金持ちの家に食事を恵んでもらうために訪れました。しかし、その家の主はみすぼらしい弘法大使の格好を見て追い払いました。するとその家に立て続けに不幸が起きました。のちにこの家の主は、みすぼらしい格好で訪れたのは弘法大使であると知り、謝罪のために彼を追いかけました。弘法大使となかなか巡り合うことができず、道中で倒れ息を引き取る前に、偶然通りかかった弘法大使に会うことができ、謝ることができました。そのことから、弘法大使が巡ったお寺を回ることで願いが叶うと言い伝えられ、今のお遍路の形となったというのが諸説ある中でも有力とされているものです。

なお、お寺一つ巡るごとにその寺特有の能力が開花するようです。頭、目、口、耳、肩、手、腹、足など身体能力も向上するようです。言い伝えでは、足元がおぼつかない方が88か所を歩いて巡り終わる頃には、しっかりと歩けるようになったということです。信じるか信じないかはあなた次第ですが。なお、88か所をめぐると1450キロぐらいあります。1450キロってあまりにも長すぎてイメージがつかないかもしれませんが、お寺をめぐるときに車だったら10日、自転車や公共交通機関だと20日、徒歩だと40日かかります。途方もない距離ですね。また、この長い距離を歩くことによって、精神的にもたくましくなります。

お遍路あるあるを紹介いたします。

① 道中に人に会うことがほぼない。人に会うとうれしくて、こんにちわと声が自然にでる。

② 延々と続く道の先が見えず、精神的にきつくなる。

③ 自分が歩いている場所がわからなくて不安になる。

④ お腹が減っても喉が渇いても、レストランやコンビニ、自動販売機でさえない道中がある。特に、山林のお寺へ参るとき。

⑤ 一部、お遍路転がしと言われる難所は、山の上の寺と言うよりがけの上の寺と思えてくる。

⑥ 山道では、物音や銃声で驚く。

⑦ 山道で,蜘蛛の巣やムカデ、蛇、ハチ、ミミズなど都会でお目にかからない虫に遭遇し嫌な思いをする。

⑧ 山道で、捨てられて朽ちた人形を見て恐怖を感じる。

⑨ 参拝時間の17時付近になると、寺にたどり着けるか不安になる。 ⑩ 日が暮れると、スマホのライトを頼りにお遍路を続けることになる。

⑪ 少しでも荷物を軽くしようと、不要なものをカバンに詰めなくなる。 お遍路で皆さんも同じようなことを感じるのではないかと思います。

僕は東京に住んでいますが、お遍路を行うためには四国まで飛行機で行くことになります。1番寺から高野山まで、公共交通機関と徒歩で歩いた場合、費用はおよそ50万円でした。かかった日数は、比較的ゆっくり参拝していきましたが25日くらいかかりました。ほとんどの人が、車で88か所をめぐるのですが、歩く人もいます。私の場合は50 %から70 %は歩いた感じです。そのような中で同じように歩きでお遍路をしている人を見ましたが、ほぼ男性です。しかもおっさんからおじいさんの年齢です。一度だけ、不謹慎かもしれませんが20代の綺麗な女性の二人組が袈裟を来て歩いているのを見て記憶に残りました。おっさん以上の年齢層がすると考えてよいでしょう。

なお、1450キロの道のりは大変きついので、実際に歩くなら若いうちがいいでしょう。特に平たんな道ではなく、山やがけもあります。しかも、途中にレストランやコンビニ等ない道がかなり多いです。なので、休憩できるときにし、熱中症やケガには気を付けてください。

なお、お遍路とJGC修行の相性は抜群です。JGC修行とはJALの飛行機を1年に50回乗ると、JALグローバル会員の上級メンバーになり、ラウンジやマイルアップ、優先搭乗など、クレジットカードの年間費さえ払っていれば、永遠に受けられるようになります。そのため、例えば東京に住んでいるような方だと、1月から開始し毎週四国へ向かいお遍路を行うと、終了する頃にはJGC修行も達成していることになります。まさに一石二鳥です。

このように羽田から徳島、高知、松山、高松の空港を行き来しながら、無事88か所のお寺を巡ったのですが、最後は羽田―伊丹空港を経由し高野山へ行きました。公共交通機関しばりでお寺を巡っていたため、最後はかなり楽でした。モノレールと阪急、御堂筋線で難波まで行き、南海電鉄で高野山までとおおむね3時間で着くことができました。朝、9時過ぎの便で羽田を出発をし、2時ごろに高野山に着きました。なお、南海電鉄の難波駅ではトラブルにあいました。駅のモニターでは高野山行きのケーブルカーが故障で橋本駅から高野山へは振替輸送を行っているそうです。せっかく関西まで来たのだし、無事高野山へ時間内に着けるか不明でしたが、とりあえず行くしか選択肢はありませんでした。電車に揺られること数十分、乗客が騒ぎはじめ、次々に席を移り僕の方へ寄ってきます。何があったのか、ぱっと見わかりません。ある乗客がこちらに来た人に理由を聞くと、ハチがいたそうです。そうなのだと、その人たちがいた方向を見ると確かにハチがいて、こっちへ飛んで来ました。スズメバチです。慌てて僕も逃げました。二駅ほど進んだところで誰もハチに刺されることなく、ハチは電車外へ出ていきました。こんなことがありましたが、その後機内アナウンスでケーブルカーの故障が解消されたため、振替輸送も終わったとありました。ひとまず安心です。

写真は橋本駅の様子です。奥に見えるのが特急電車です。指定席分料金は高いですが、かなり豪華な内装でした。また、ここから1時間くらいのんびり電車にのり、高野山のふもとでは、先ほどまで止まっていたケーブルカーに乗りました。ここまでの道中も、四国のお遍路の道を彷彿させるような景色が広がっていましたが、ケーブルカーではかなりの傾斜がある山道を一気に上まで登り切ります。乗客には外国人も多く、世界遺産としての高野山の知名度はかなり高いのではないかとおもいました。

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ケーブルカーを降りた先はバス停で、高野山行きのバスに乗ると運がよくすぐに発車しました。なお、バスの乗車口前には、チケット売り場もあり、高野山で乗ることができるバスの一日券が830円で販売していたので、それを購入しました。実際、3回乗れば、元を取れると計算していましたが乗車したのは行きと帰りの2回だけでした。予定では、一度奥の院まで乗車し、さらの反対側にある門のところまで乗って、最後に帰りにもう一度バスを乗れば元を取れると考えていました。しかし、バスは一時間に2本あるかどうかで、タイミングが合わず、奥の院から反対側の門近くまで歩き、そこから高野山駅まではバスに乗り帰る方法を取りました。実際に歩いて観光した感想としては、奥の院付近のみの観光や、主要な道路に並んでいるお寺群を参拝する予定の方は、一日券は不要です。電車賃は高くもなく、仮に何度も乗車することがあっても、それほど経済的な負担にはならないでしょう。

奥の院までのバスの乗車中、急に激しい雨が降り始めました。終点の奥の院前までに雨が止めばと思いましたが、目の前が霞むような、激しい雨が降り続きます。一日乗車券の地図では、奥の院前にはレストランなど休む場所は記載してなかったですが、降りて少し歩いた先にレストランがありました。折り畳み傘を持ってきていましたが、さすがに歩く気にならない雨の上、昼の食事をとっていなかったことから、ここで昼を食べることにしました。世界遺産の観光地らしくない、普通価格帯のレストランでした。場所も不便なことから、もっと値上げしても十分に客入りはあるだろうという感じでした。30分くらいかけゆっくり食事をし、レストランを出ることには先ほどの雨が嘘のように晴れに変っていました。 そして参道で写真を一枚撮りました。なお、最初は恒例のXF27mmです。

とてつもなく高い杉?の木が立ち並びます。あまりのでかさで、XF27mmではその雰囲気を写しだしづらいなと感じました。

道中は静寂の中、苔に埋もれたお墓が多数あり、とても幻想的な光景がありました。当初XF27mmで写真を撮っていたのですが、奥の院まで到着後、画角が足りずXF14mmにレンズを替えました。持ってきてよかった超広角レンズです。なお、ここから先は写真撮影を禁止されていますので、お寺の雰囲気を言葉で表現したいと思います。寺の奥には弘法大使の掛け軸が飾られていました。天井は、かすかに室内を照らすほどの灯りの灯篭が多数つるされており、神聖な雰囲気を感じました。寺の中では、数人の僧侶がお経を読んでいます。四国88か所を巡って、ここが本当の最後かと思うとなんだか寂しくなりましたが、考えてみれば公共交通機関しばりとはいえ、よく達成したなと思います。

建物から出るとたくさんの人を引き連れたガイドの一行とすれ違いました。参拝も終了したので、納経帳の初めのページに、納経をしてもらいます。他のお寺と同じく300円でした。下の写真は、納経場付近の像と、納経をしてもらった建物です。納経帳を手渡すと、書いてくれる人がペラペラと他のお寺の納経をめくり、満願ですかと尋ねてきました。はいと答えると、お疲れさまでしたと、この人にとってはいつもの事かもしれませんが、やはり心にジーンと来るものがあります。

そして来た道を帰り、途中はバスでショートカットした道を歩きました。途中に石田三成のお墓などように、戦国大名のお墓も多くありました。大変不思議に感じたのですが、徳川家と石田家は大阪冬の陣と、夏の陣で争ったにもかかわらず、こうして同じ場所に墓を設けることに、敵将への慈悲というのか如何にも武士の情けとかそのようなものを感じずにいられませんでした。

こうしてメインの奥の院の参拝を終えました。この後は、高野山にあるお寺を参拝していくのですが、それは次回の記事で紹介したいと思います。

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